いいよどむ、のみこんでしまうこと

今日、はっきりと自覚したこと。

こう思われるんじゃないか、自分がこの状況で言うべき、と
思う内容は、この状況にそぐわないんじゃないか?
相手のほうがわかっているんではないか、そう考えると
このことは言うべきではないのではないだろうか?

いいよどむ、のみこむ。
わかったふりをする。
言うべきことと思うことをのみこんで
相手に合わせてしまう。

でもそれじゃあ駄目なんだ。
信頼、あるいは信頼関係を築くには
言いにくいこと、言いたくないことをいわないでは、
そのことをちゃんと伝えて、ちゃんと状況をいっしょに
超えていく、という労力をはらわねばならないのだ。
いい顔だけしてちゃあだめだ。恥をかきたくない、とばかり
思ってちゃあだめだ。

前に進めない。

自分が実現したい何か。
その何かが確実にある。
そのことをあきらめきれないのなら、
どんなに未熟でも、どんなにぶざまでも
一歩を踏み出すしかない。
やってみるしかない。

そろそろ、ああ、こうだよねー、やっぱり。
と後だしじゃんけんで、正論ばっかりを後から思うような
ふるまいはやめよう。自分はわかってたさ、と思うことで
自分って大丈夫、わかってる、って安心するような
段階は卒業しよう。

その時、その瞬間。どう判断して、何を語り、何を選び
実行するか。形にできるか、だけが本当の意味で
自分をつくる。

もうリハーサルはおしまい。

外れるかもしれない自分を本気で抱えていくしかないんだな。
勝負はこれから。

今やっておくべきこと

今週は、来週以降のためにぜひともやっておかねばならない
「準備」があります。
それは、
自分が何を夢見ているかをハッキリさせる
自分はどういうふうになれば一番嬉しいのかを自覚すること・・・

ここのところ毎週見ている週間占いにあった言葉である。
続いて・・・

この実感、このイメージがないと、来週以降、貴方は少し迷って
しまうかもしれません。ですから、できればだれかと対話することで
上記のような実感を手に入れておいて頂きたいのです。
何を叶えたいのか、どうなっていれば嬉しいのか。
誰が好きで、何を望むのか。
このことが、この先貴方が下すいくつかの決断の最も重要な動機に
なるはずなのです。今週そのことを確かめることで、来週以降、
腹が決まるのです。

とのこと。
   
そこで、ひたすらひたすら思いつくイメージを羅列してみた。
  
感じたこと、信じることが形になり、仕事になる 
 →誰かに実感をもって伝わり、喜んでもらえる、広がっていく
  子どもに伝わる、生きることが楽しくなる、のびのびする
  
感じることの表現、信じることの凝縮した表現
 本づくり、場づくりを通じて。あるいは庭、家。空間づくり。
  
伴侶と子どもとの心地よい暮らし
        自然と調和した暮らし
        心地よい空間での暮らし →その実現のための場づくり
                             地域づくり
                             地元づくり  
  
内なる自分と向き合う時間のある暮らし
世界の、同じ志、思いをもつ人々とつながっている暮らし
  
ぜいたくでなくとも豊かな関わり
子どもの成長を育める環境、状況
コンスタントに安定した仕事
  
植物、宇宙との対話 →教え
  
自分である程度、時間を組み立てられる仕事のあり方、内容
  
つながっている、つながっていける人々との仕事、ものづくり、場づくり
(楽しくやれる人たちとの、セッションしていける人たちとの)  
  
エッジ(先、光)を感じていたい
  
世界中の心細く、勇気のだせない、繊細な人たちに 
  
◎心地よい庭のイメージ、河井寛次郎記念館の心地よさ、周りとの関係性
→わたしが思うところの「庭的なるもの」と一般についているイメージと。
  
日本民藝館にも行くべきですね。
  
空間づくり、デザインを自分で試してみたい
心地よいもの、美しいと思うものを取り込んで。
  
後藤さんと継続的なシゴトがしたい、SSに関わりつづけたい


  

ユーモアと美と可愛さと

神坂雪佳展を観にいく。
まったく知らない画人だったのだが、この「金魚玉図」を観て
何者かこの人は、と思い早速脚をはこぶ。


いやぁ、たまげた。
なんなんですか、これは。

本当にいまさらながら、琳派、江戸期の美術の到達点の高さに驚くのは
もちろん、この雪佳という人のモダンなこと。構図、トリミングの妙、
表具との組み合わせ、抽象化の度合い。
近代に位置づけられる人であるだけに、ある意味江戸期の画人より
モダンになっていく、まさにその飛翔の瞬間に立ち会っているような
緊張感とライブ感があった。

最近、音楽の側面から記号化について追っている本を読んでいることも
あり、近代ということについてや、その表現ということについて
つらつら考えている。そのこともあり、雪佳という人の離陸のプロセス
(私にとっては近代化、記号化というのは重力から解き放たれていく
というイメージに近い。一対一の意味合いからは自由になるが、
飛翔しすぎてもはや地面が見えなくなってきたのがここ数十年の
時代認識か?)を介間見られたことは得がたい経験だった。

ちなみに一番エキサイティングだったのは、「四季草花図屏風」。
別の意味では、ここで出会えると思っていなかった光琳の「流水図乱箱」。


細見美術館
若冲 (三の丸尚蔵館)  には行かねばならぬと思う。

方位磁針

庭的なるもの
人−自然・宇宙
執念のようなものの集積=ニヒリズム
人−自然・宇宙の間
 庭
 着物
 器(縄文式土器
 家(河井寛次郎ジョージア・オキーフ


そのルーツ
 岡本太郎

現在の裂け目にもとめると
 アースダイバー

散文なら
 矢内原伊作(「ジャコメッティ」)
 松浦弥太郎
 長田弘
 
情景→抽出→表現→ふたたび情景
 インディアナインディアナ
 
断章あるいはイメージの喚起力
 永田耕衣
 浮世絵的な
 神坂雪佳
 琳派

あるいは再解釈(?)
 ロラン・バルト(記号の国)
 小泉八雲
 
さいはての楽園、あるいは彷徨のパラダイス
 マジカル・トランジット・デイズ
 オキーフの家
 デレク・ジャーマンズ ガーデン